ディオールのデビューは驚くほど遅い。ファッションデザイナー、ロゲール・ピゲやルシアン・ルロンの店で助手を務めていたディオールは、1946年、星占いの予言どおり「41歳で出会った運命の人」マルセル・ブサック(繊維業界で成功した大富豪で、コットン王とも呼ばれた)の支援を受け、パリ・モンテーニュ街30番地にオートクチュールサロンを開店する。
後に自らを「デザイナー」ではなく「幸せの商人」とディオールは呼ぶが、そのロマンティックな表現には女性を服によって着飾らせるだけではなく、モードを通じて喜び、幸せをもたらしたという自負をのぞかせていた。それまで限られた人のものだったオートクチュールに、一般の女性たちにも強い影響を与える新たな次元をディオールは切り開いたのである。
華麗さと神秘性が混じり合ったゴージャスさは、オートクチュールならびにレディース・プレタポルテコレクションの主任デザイナー、ジョン・ガリアーノによって幻想的な雰囲気が加わり、いっそう華やかなムードを増している。
だがその「魔法のブランド」の裏側には家内工業であったオートクチュールをモード産業として確立させたデザイナー、クリスチャン・ディオールのビジネスマンとしての手腕も大きかった。 |
 |